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E-talk

秋という季節の話

またまたかなりのご無沙汰となってしまいました。

8月から10月まで色んな地方に行ってきました。
東は岩手県の盛岡から仙台。西は九州に至るまで。日本全国の季節を感じながら。

9月中旬に行った盛岡で最初の秋を感じました。酷暑から一転、秋の様子でした。
前日まで半袖だったのが、念のために持参した長袖ジャージが毎日活躍するとは。
わからないものです。その頃、東京はまだ30度弱あったというのですから。

秋は私が生まれた季節ともあり好きな季節ですが、今年は「秋が無いのでは」 というくらい暑い年でしたね。

だんだんと四季の移り変わりを感じつつ、今年は少ない「秋」を楽しみたいものです。

今週と来週は長野と金沢に行きます。

仙台で運命的?な出会いがあった「熱い男」北海道ラーメンのNさんや、
創業150年の歴史を繋ぐ、小樽の製菓屋さんのHさん、若くして現場を仕切る Sちゃんと再会できるのも楽しみです。
皆さん、熱いものをお持ちの方々です。

「出会いの秋」(←実際は春?)を実りの冬にして、更に飛躍の春に繋げたいですね。

チームワークの話

久しぶりの話になってしまいました。
しかし猛暑が続きますね。熱中症には気をつけないといけません。

連日、甲子園球場では高校野球が連日繰り広げられています。
なにか、W杯の日本代表を彷彿させるかのように、チームワークを 意識した学校が多いような気がします。
元々、個人技より組織を重要とする国民性はあると思いますが、W杯の日本代表を見て
更に大事さを共感したばかりのはずです。

しかし先日・・・

我が故郷、広島東洋カープ対、我が愛するチーム、阪神タイガースの 試合で起こったシーンを見て
残念な気持ちになってしまいました。

広島カープが5対1でリードしている場面、阪神タイガースの攻撃。
ランナー1塁2塁でバッター城島選手。ピッチャーは外国人先発投手のスタルツ。
城島選手がレフトスタンドに3ランホームラン。続く桜井選手、狩野選手と 3者連続ホームラン。
後続も続きこの回に一挙7点を入れ阪神が猛攻撃を起こしました。

タイガースファンである私としては嬉しいシーンでしたが、同時にこの 猛攻を受けているカープの責任投手、
スタルツ投手に交代どころか誰も声を かけない。
キャッチャーが行くわけでもない。ベンチからコーチが行く わけでもない。
想像するにスタルツ投手はおそらく放心状態のまま 投げ続けていたことでしょう。まさにこの回、放置状態でした。

翌日の報道で広島カープの野村監督は「試練を与える意味で続投させた」 とありました。
更に野村監督の弁は「私のミスです」と。なぜなのか。
「試練を与えるため」と言いながら、「ミスです」じゃあスタルツ投手も不信感を いだくのは当然です。
自身も無くすことでしょう。

しかもまだ試合は中盤。中継ぎ投手も準備をしていたことだし、 試合をあきらめるにはまだ早すぎる状況です。

ベンチも去ることながら、3者連続ホームランを浴びる中、女房役のキャッチャー、 内野陣がだれも声をかけない状況は
チームワークを考える上で理解できないシーンでした。

例え外国人でもコミュニケーションをとれるくらいの言葉をかけることや、 激励や落ち着かせる意味での
声掛けはあっても良かったんじゃないかと思います。

そんなシーンを見るとファンはがっかりすることでしょう。
チームの内部事情や選手の体調までは見えませんが、勝負の中にある 人間的な部分や気迫や熱意は
球場やテレビでも伝わるものです。

チームの中に、スタルツ投手に声をかける者がだれもいなかった。
例え監督やベンチの指示があったにせよ、自分だったらその指示を 無視してでも
スタルツ投手に声をかけていたことでしょう。

そんな寂しいシーンの一幕でした。 何にしてもチームワークって大事ってことですよね。
これも自分に言い聞かせていながらの話です。

W杯、日本代表が負けた夜の話

つらい夜になりましたね。

アウェイでの決勝トーナメントを前に、デンマーク戦の何倍もの緊張を抱き、 前回同様、赤坂のバーで観戦しました。

店内の緊張感も最高潮に達し、前半を終えた時点で方々から電話とメールの嵐。
その内容は「絶対勝てるよ」という内容ばかりでした。

まさにパラグアイと互角の試合を展開しましたよね。
報道で見たパラグアイは南米チーム特有のスピードとメンタルの強さを兼ねそろえた チームという印象でしたが、
私の中では世界一?とも思える日本のディフェンス陣が よく抑えてくれていたように思います。

拮抗した試合の末、延長、そして運命のPK戦に。
店内もみんなで肩を組み合い見守る中、8強の夢は叶いませんでした。

賛否両論、あると思います。確かに代表は頑張った!でもこれは勝負事として 負けは負けです。
本田選手が「優勝」と言っていたように、出場している 選手にとっては悔しさだけでしょう。
今後の代表に選ばれる選手は自信を持って 「優勝」という言葉を発してほしいですよね。
それを示してくれたチームだったと思います。

我々応援する立場も、今後は「優勝するんだ!」と信じ続け、どこかで行われる パブリックビューイングに20万人集まる!
会社も学校も休みで応援!みたいな 国になってほしいですね。
勿論、私の会社も休みにしますよ。だって4年に1回の 世界一のイベントですから。

負けは負け。結果が全て。

私の勝手な意見を述べさせていただき、W杯南ア2010の話を終えたいと思います。
日本代表の全ての関係者の皆さんにご苦労様でしたと言いたいですね。
そして世界8強の試合を最後まで見て、次回に繋げていきましょう。

追伸:弊社ではすでに次回のブラジル大会観戦に向け調査を進めております。

W杯、日本代表決勝リーグ進出!の話

やりました!
凄かったですね!日本中が揺れたことでしょう。

私の元上司であるO部長から午後に電話があり、 「勝ったねーーー!それだけ言いたくて電話したんだよ!」。
うれしかったですねぇ。しばらく余韻に浸れる勝利ですよね。

今大会はこれまでフリーキックでの得点が難しく少なかったですよね。
使用するボールの質、会場が高地の為、曲がらない、落ちない等々。

今大会で一番きれいで芸術的なフリーキックを2本を見れるとは、 誰が予想していたでしょうか。

本田選手が決めたシュートは、見事な無回転シュートでした。
所属するCSKAモスクワ、チャンピオンズリーグでフリーキックを決めたシーンが 何度も放映されていますが、
まさに同じシーンを見た、そんなフリーキックでした。

勢いのある本田選手が蹴るかと見せかけ、遠藤選手のスーパーゴールは チーム戦略を考えた相手にとっては
「意標」をつく選択ではなかったでしょうか。勝気な本田が遠藤に譲る。チームのまとまりを感じます。

迎えたハーフタイムは、これまで2点先行した状態が無いためか、 勝てるか?
という気持ちと、追いつかれるんじゃないか?という 期待と不安でなんだか不思議な時間でした。

1点は入れられましたが、その後の本田→岡崎もダメ押し。
こんな展開は予想だにしなかった、本当の快勝でしたね。

赤坂のバーで観戦を追え、帰宅の途中にコンビニへ寄ったんですが、 いきなり店員さんから「日本は勝ちましたか?」
と聞かれ、続けて、「僕は岡崎選手が 好きなんですが、出場しましたか?」と興奮気味に聞くので、
私が「岡崎が ダメ押しの3点目を入れて3-1で勝ったよーーー!」と言うと
涙を浮かべて 「見たかったーーー!」という、そんなやり取りがありました。

そうなんですよね。夜中の中継でも、仕事や様々な理由で 見たくても見ることができない人もいるんですよ。
そんな一幕がありました。

日本代表…。手前ではありますが、下馬評では3連敗。
1勝もできないという 声が多かった中、私としては本番に何かやってくれそうな気がすると 周囲に言い続けてきましたが、
ここまでやるとは…。

本当にチームがまとまっているのが見てとれます。
対照的にフランスのチーム事情を考えると、「チームワーク」は本当に大切なんだなと 感じさせられます。
我々も参考にして生かしていかなければなりませんね。

なにはともあれ、決勝リーグ進出おめでとう!そして夢をありがとう!

パラグアイ戦…。
なんだか勝てるような気がしています。

W杯の話

2月から5月にかけての話をしながらすっかり6月も終わりですね。

W杯も予選リーグが終盤を向かえ、明日のデンマーク戦を前に日本中はテンションを 上げてますよね。

連日の熱戦に注目が集まるのは当然ですが、テレビや新聞で各国のストライカーの 横顔を伝える話も多くあります。
その中で感動した話をしましょう。

今大会で大好きになった選手…
コートジボワールのドログバ選手です。

某新聞の記事で読んだのですが、ドログバ選手(32)は母国の内戦を止めさせる為に ある行動に出ました。
W杯の予選で母国が出場を決めた試合のロッカールームで 政府軍と反政府軍が連日の衝突を繰り返すことに対して、
日本でいうところの 「土下座」をして停戦を訴えたのです。
「子供達が安全にサッカーを楽しめる国に したい」との思いを込めて。
その姿が国内に放映され、その映像を見た反政府軍は 武器を置いたそうです。

W杯に出場できる喜びよりも、母国の為に行動したドログバ選手は、国の英雄として 親しまれているそうです。

この記事を読んだときに涙が出そうになりました。
出場して浮かれる国が大半の中、そうでもしないと安全が保たれない国が世界には 沢山あるんだなと。
それをサッカーというスポーツを通じて訴えるドログバ選手の 器の大きさに恥ずかしい思いにさえなりました。

本当の英雄とはこの人のことを言うのかな。
実際に平和な日本で生活している私にとっては計り知れない大きさを感じました。

コートジボワールvsポルトガルの試合後に映し出された、同じくポルトガルの ストライカー、
C・ロナウドと肩を組んで歩くシーンがありましたが、 ドログバが2倍も3倍も大きく見えたのは私だけでしょうか。

コートジボワールの英雄、ドログバ。 今後も注目し、応援していくつもりです。

とにかく、色々な思いを持って望むW杯。
挫折やケガ、人間関係での悩みなど…トップレベルだからこそそういった苦悩も 多くあるのかなと感じます。

報道でしか伝わりませんが、色々な角度から応援したいものですね。
何はともあれ、明日は母国、日本を応援しましょう!

2月から5月にかけての話(北海道・帯広編/その1)

W杯、日本vsデンマークを前に緊張が高まってきましたね。

沖縄を終え、翌週は北海道の帯広に行きました。

なぜ、帯広かというと…

以前、横浜で開催されたビジネス商談会というイベントで 知り合った帯広で牧場とレストランを経営されていH社長に招かれたからです。

羽田から1時間20分、北海道に入ると雄大な牧草地と田園が広がる、道内でも 広々とした景色が迎えてくれました。
とかち帯広空港に降り、社長が迎えに来てくれていました。
「今日は暑い」と社長は半袖姿でしたが、私としては肌寒くとても暑いとは感じなかったけど、
やはり体感温度が違うのかと 思いながら、飛行機から見た景色の中を一路牧場へ。

時速100キロで真っ直ぐな道をひたすら30km以上走ること30分。山間の牧場に着きました。
「牧場を案内する」と社長は私をトラクターに乗せ、場内を走り出しました。

場内を経てゲートまで行くと、そこには放牧された豚が何頭も放され、 見た事のない景色でした。
柵内で飼われている豚は見た事があるけど、 放牧されてる豚は初めてでした。

トラクターが進むにつれて、何頭もの豚が後をついてきます。
話によると、放牧されて飼われている豚は、自由で素直で育ちがいいとの事でした。
話のとおり、自由でゆったりと過ごしているといった感じでした。

一通り見学を終え、帯広市内にあるレストラン「ランチョ・エルパソ」に向かい、 今後の活動についての打ち合わせを
スタッフの皆さんとしました。若い方が多く、皆さんの熱意が凄く伝わってきましたね。
レストランも雰囲気が良く、若者が集まる雰囲気を感じました。

主に専務のMさんとの打ち合わせになりましたが、途中、社長がソワソワし始めたのです。
なにやら私を「豚サウナに入れるから牧場に戻ろう」といい始めたのです。
「豚サウナ?」なんだろう?と思いながらMさんと打ち合わせを終えたのが夕暮れ時に なっていました。
「急がないと暗くなるから?」と言いながら再び牧場へと車を走らせます。

牧場に着くと、牧場のスタッフさんがバスタオルを持って3人で車に乗り再び場内へ。
未だ「豚サウナ」の意味が解らず半信半疑で場内を進みました。

すると、川のほとりに木造の小屋が見えました。
「こんなところにサウナ?」と いいながら社長とスタッフさんがサウナの準備を始め様子を伺っていました。
すると、あれよあれよとサウナの周りに豚さんが集まってくるではありませんか。

社長の言ってた「豚サウナ」ってこれか!と状況を理解しました。
社長の話によると、「熱くなると川に入る。水風呂が川。そこに豚さんも入ってくる」とか。
要するに豚さんと一緒に入るサウナという訳です。

これは中々経験できないと、私もテンションが上がり大興奮でした。
又、景色が最高で東京の人達に申し訳ないくらい最高の時間でした。

なんと社長が、すっかり気に入った私に「明日の朝も入ろう」と言い、 私も二つ返事で速攻賛成。
朝からサウナに入れてもらい、社長の思いや 将来の展望などを話しながらあっという間に時間は過ぎていきました。

1泊での視察でしたが、社長やスタッフの皆さんの熱意が伝わり、一緒に仕事ができればとの 思いを膨らませ、
帰京の途につきました。
東京に着いた瞬間、あまりのギャップに 夢のような時間を過ごさせてもらったなと。感謝の気持ちでいっぱいです。

社長が私に言った言葉…

「都会の人が移り住んでも北海道の自然は厳しい。それを乗り越えるには相当な覚悟がいる。
その覚悟が無いならあなたは東京にいて私達と友達になって、たまに遊びにくればいいんだよ」。

という話がとても印象的でした。

あまり知られていない未だ残る歴史、貴重な体験、素晴らしい景色、そして素晴らしい人達。
魅力が沢山詰まっている「帯広」に微力ながら貢献できればと思います。

■ランチョ・エルパソの紹介
北海道帯広市西4条南20丁目1番地
URL:http://www.elpaso.co.jp

100622

2月から5月にかけての話(沖縄編その2)

沖縄の続編です。

イベント初日を終え、宿泊ホテル近くの浦添歓楽街に繰り出しました。
昭和の匂いがする古い店が立ち並ぶ味のある飲食街です。

いつものごとく、出張先の歓楽街を練り歩きました。
とてもじゃないけど飛び込みで入るのはとても勇気のいる雰囲気の店ばかりです。
一本の道を往復し気になる店を絞りました。

歓楽街の入り口近くの1件の小料理屋さんを選びました。
中にはママさんが一人いて、「誰かの紹介で来たの?」と聞かれ、 「いえ、飛び込みです」と言うと、
快く受け入れてくれました。まさに沖縄の浦添の街の歓楽街で一元で入る客など滅多にいないのでしょう。

ママさんが「なんでうちの店を選んだの」と聞くので、「持ち前の嗅覚で」と 答えました。
なんだかすぐに溶け込んでいき、色々な泡盛を飲ませてくれたり、 聞いたことの無い沖縄特有の野菜を食べさせてくれたりと、楽しい時間を過ごしました。

そのうち、常連さんのSさんがやって来て、同様、すぐに打ち解け沖縄の話を沢山聞きました。
「なんで沖縄に来たの?」とSさんに聞かれ、事情を説明すると、「遊びに行くよ」と言ってくれ、 本当に来てくれて、しかも、
うちの商品を沢山買ってくれました。本当に嬉しかった。

結局、2日目、3日目とママさんの店に行き、楽しい夜を過ごさせてもらいました。
3日目の夕方、ママさんから電話があり、「今日はどうするの?」聞くので、
「さすがによそ者のおれ達が毎日行ったら迷惑でしょう」と話すと、ママさんは 明るい声で「何言ってんの〜来ればイイサ〜」と沖縄弁で言いました。その瞬間、「行きます!」と答えていました。沖縄弁で言われるとついいい気分になりますね。

沖縄の最終日もお世話になり、お土産にスパム(沖縄のハム)を持たせてくれました。
これがおいしくてはまるんですよね。ママさんの作る野菜炒めは必ずスパムが入っています。

ママさんの娘さんでRさん、もう一人お会いしたブルーハーツ好きのNさん、 イベントに来てくれたSさん。そしてママさん。
沖縄に仲間ができた気分です。度々行くことはできないけど、又、必ず会いに行きます。

沖縄でのイベントは大盛況で、最終日は終了2時間前に全て完売。
沖縄の皆さん、本当にありがとうございました!

観光で行く沖縄とは又違い、生活圏で人と触れ合った沖縄は、まさに気持ちのいい沖縄でした。

次回は北海道、帯広編です。なかなかできることのできない体験を帯広でさせてもらいました。

100601

2月から5月にかけての話(沖縄編/その1)

松山の翌週、沖縄での仕事でした。
食のイベントが沖縄で開催されるのは 初めてで期待を膨らませ、弊社F田と共に沖縄へ飛びました。

那覇空港に到着し、空港を出ると沖縄特有の雰囲気。風が気持ちよく穏やかな 空気が迎えてくれますよね。
沖縄は観光で何度か来ていましたが、仕事では初めてです。

会場である浦添市に宿を取ったのですが、リゾートとは違い住宅地にあるアパート風の ホテルでした。
連泊なので節約ということで1泊3,000円。でも部屋は問題ないかということで ここで4泊です。

翌日は設営の為、会場である沖縄コンベンションセンターに行きました。
海沿いにあり、天気もよく仕事モードではまったくない雰囲気でした。

先日の松山から送った資材が無事着くだろうか。待つこと1時間、ようやく運搬業者さんが 続々と到着。
松山から海を渡り問題なく受け取りを終え、設営を終えようとした時でした。
弊社F田が「東京から着くはずの資材が届いていない」と言い出したのです。

それは現地では入手不可能の資材でした。大問題勃発です。その資材がないとオープンできません。

とりあえず、宿に戻り手配した会社にF田が連絡。
追跡したところ、なんと飛行機に乗せるはずの荷物が船に乗ってることが発覚。なんじゃーーー???
なんと、運送会社の発送ミスで船便になっていたのです。到着日は会期終了後?冗談じゃない!

これは会社同士の話し合いだとf田から対応を代わり、なんとか明日の8時までに入手したいとのことで 強く要求しました。
その時点で夜8時を回っていました。

私達もあの手この手を検索し連絡。羽田、成田のJAL、ANA等の貨物便に問い合わせたところ、
深夜は海外便しか飛んでないとのこと。
最短で翌日の羽田始発便に乗せて那覇着が9:15。 受取は早くて10:00前後。これが最短での受取手段でした。

手配先の会社は空港から配送して、早くても正午前後の到着になるだろうとの事でした。
とんでもない!お客さんに多大な迷惑をかけてしまう。

会場で待ってては到着は午後になるだろう。那覇空港からまた配送会社を中継すればかなり 時間のロスになる。
1分でも早く着かせないと。イベントは10:00スタート。
それまでは念のために前の現場である松山から送っておいた残量でしのいで、自分達で ピックアップしたほうが早いだろう。

私が那覇空港まで走り、弊社F田を会場に残し、できるだけ粘り少しでも早く帰還する。
これが私達が決断した最短での手段でした。

翌朝、私は那覇空港まで車で走り、JALの貨物受取窓口へ何度も入門の手続きを取りながら たどり着き、
9:50頃に無事荷物を受取り、一路会場へ。沖縄特有の万年渋滞を潜りながら、 10:30に会場到着。
弊社F田も頑張り一人でオープンさせてましたが、資材はギリギリ状態で なんとか間に合ったという感じでした。

しかし…沖縄での反応は絶好調で、売れまくり状態。二人で準備していればもっと 迅速に対応できたのに…
と悔やまれる、そんな初日のスタートでした。

その日の夜は、前日の対応でろくに食事もできなかったので、浦添の歓楽街に繰り出し、
またまた、持ち前の引きの良さを発揮してしまいます。

続きは続編で。

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